歴史と技術充実期(昭和55年〜61年)

不透明な時代に備え、瞬発力や持久力など、
企業としての基礎体力を強化した時代

後に「不透明な時代」と呼ばれる1980年代を迎えたFUKAE。この時代は、企業としての基礎体力をさらに強化する時代でした。

社員の「品質・コスト・納期」に対する意識を高めることに役立った「小集団活動」の開始。そして、生産設備の刷新を進めるのと同時に、社員一人ひとりの技術力を磨き、同時にその技術を誇りにしてもらうための「技能検定の奨励」。さらに「金型研究所」や「東京営業所」の設立など、不透明な時代を生き抜くための布石を一つひとつ打っていったのです。

その結果、売上高も50億円を突破。しかしこれに甘んじることなく、来たるべく次の時代に向けて、「高付加価値」という新たな目標へと、大きく舵を切り始めていきました。

01

ムリ・ムダ・ムラへの意識を高めた
「小集団活動」

TQC活動の一環として注目を集めていた「小集団活動(QCサークル活動)」。スペシャリストの視点ではなく、現場で働く社員たちが小さなグループを組み、職場を点検、問題点の確認、そしてグループ総意で問題を解決していくという取り組みです。
昭和55年の1月早々からこの活動に取り組んだFUKAE。初年から209のグループが参加したことからも、当時の社員たちの意識の高さがうかがえます。同年9月には「第1回小集団活動発表会」も行われました。この活動は形を変えて、現在もなお続けられています。

FUKAEイズムのなかに深く浸透している、課題を発見する力や合理化への意識の高さも、こうした地道な活動を通して磨かれてきたものなのです。

02

最新設備のパフォーマンスを引き出す、
技能検定有資格者

この頃、お客様の大半は一部上場企業でした。経営の安定化にとっては有利ですが、一方では技術革新に乗り遅れると致命傷になりかねないというリスクもはらんでいました。最新鋭の工作機械の導入や徹底したラインの合理化など、設備面の充実は当然として、それを使いこなす技術の研鑽に力を注ぎはじめたのもこの時代です。
技術者たちの技を客観的に評価する基準が、各種技能検定です。日頃から難易度の高い仕事に取り組んでいる当社の技術者たちにとって、このハードルはそれほど高いものではないらしく、社内では多くの有資格者が、その技術を発揮しています。このような金属加工の職人たちの技とプライドも、FUKAEイズムを形づくる、大切な要素の一つです。

03

売上高50億円を突破、
さらに付加価値が求められる時代へ

創立40年を前に、金型業界でもプレス業界にもネームバリューを広げてきたこの時代。たとえば「超硬素材の順送型」や「多列抜型」など、これまでに経験したことのない、レベルのご要望が寄せられはじめました。
こうした新時代のニーズにお応えするため、昭和59年8月、水巻工場内に新設したのが「金型研究所」です。
「より精密に、よりスピーディーに」をモットーに、超硬金型を製作するための精密工作機を積極的に導入。時代にマッチした省人化工場として、品質の確保と納期の大幅な短縮に貢献しました。
時代に先鞭を打つこのような取り組みの結果、創業39年目にあたる昭和60年、売上高が50億円の大台を突破しました。さらに厳しくなっていく価格競争を勝ち抜き、50億円の先を目指すためには、製品の高付加価値化が不可欠でした。同年4月の昇給査定のなかに「付加価値生産性」という項目を追加。以降、付加価値に対するモチベーションは、社員の間に確実に浸透していきました。
昭和61年2月に新設された「東京営業所」も、新しい時代の付加価値を探るアンテナとしての役割に期待してのものでした。