歴史と技術変革期(昭和62年〜平成8年)

CAD/CAMの早期導入・専用ソフトの開発が功を奏し、
年商100億円の達成が間近に…。

世の中がバブル景気に沸き立っていた1980年代半ばから1990年代初頭、FUKAEは地に足の付いた成長を続けていました。年商100億円もすでに射程に収めていたこの頃、第2の創業期として初心を取り戻そうと、CI計画を導入し、新たな時代に備えていました。

技術革新の一環としては、他社に先駆けCAD/CAMシステムを導入。本格稼働までは決して平坦な道ではありませんでしたが、設計者の熟練度による設計品質のバラツキなどの課題も解決され、金型の品質向上、納期の短縮、コストの軽減という導入の目標を、予想を超えたレベルで達成することができました。

平成3年のバブル崩壊から5年。創立から50年を経た記念すべき平成8年、思わぬ方向から、不幸がFUKAEを襲います…。

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第2の創業期を迎え、CI計画スタート

昭和62年1月、この時代を第2の創業期と位置づけていたFUKAEは、CI計画をスタートさせます。現在ではすっかりお馴染みになったシンボルマーク「ダイナミックF」が誕生しました。
シンボルマークのデザインを変更するだけがCIではありません。新しい旗印の下に、長いスパンで様々な改革も行われました。その一つが。美しく整理整頓された職場環境を目指して行われた「5S推進運動」です。一見地味な取り組みのようですが、整理、整頓、清掃、清潔、そして躾(社会人・組織人として行うべきことを正しく行う習慣を身に付けること)を着実に実践したことにより、安全への意識も高まっていきました。
昭和63年2月18日、金型事業部・本社工場が達成した無災害1000日の記録。平成7年3月には水巻工場が、そして6月には金型事業部・中間工場二課が達成した同1000日の記録。さらには、平成8年に達成した、全6工場年間無災害記録も、このような地道な取り組みがあればこそ実現できたことなのです。

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後に財産となる、
金型専用CAD/CAMソフトの開発

この時代のFUKAEにとって、もっとも大きな技術革新が「CAD/CAM」です。短納期・低価格への要求がさらに高まっていくことが予測されていた当時、その導入は避けては通れないものでした。昭和58年4月いち早く、コンピュータ、縦型マシニングセンター3台、ワイヤーカット5台からなるシステムを、金型事業部・中間工場へ導入。その後、金型設計に特化したオリジナルソフトの開発に取り組み、本格的に稼働をはじめたのは、5年を経た昭和63年11月のことでした。
しかしFUKAEは、CAD/CAMの早期導入を後悔しているわけではありません。苦労はあってもそれを充分にカバーするノウハウを財産として蓄積できたからです。新しい技術にいち早く着目し、試行錯誤をくり返しながら身に付けて行く…それもFUKAEイズムの特徴です

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創立50周年を目前に、深江實社長が急逝

平成3年バブルが崩壊。続く円高と、それに伴う産業空洞化の逆風がFUKAEの目前にも吹き荒れました。その前年、平成2年の年商が100億円を目前にしていただけに、無念の思いもひとしおでした。
しかし、これまで様々なピンチを時にはチャンスに変えてきた社長の視線は、あくまでも前向き。この間次々と達成されていく労働災害無災害記録を励みに、今できる最善の手を打ち続けていました。ようやく先に明るい兆しが見えはじめた平成8年3月16日、深江實社長が心不全のため死去したのです。享年63歳。25歳の若さで会社を引き継ぎ、以来40年近く陣頭指揮を執り続けてきた社長の、あまりにも早い最後でした。
くしくもこの年は、FUKAEが創立50周年を迎える記念すべき年。立ち止まっているわけにはゆきません。同年9月15日、50周年の式典で壇上に立ったのは、3代目社長となった実弟の深江徹也。彼を先頭に、FUKAEは次の時代へと歩みを続けます。